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      <title>絢子の日記</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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            <item>
         <title>私刑</title>
         <description><![CDATA[私刑（しけい）とは、法律に基づかないで、特定集団（およびそれ自身が定める独自の規則）により決され、執行される私的な制裁。
私刑は観衆・集団のある程度の（熱狂・ヒステリー状態下にあるもの含め）支持のもとなされる場合がある。民族紛争の際に民兵集団により行われる非戦闘員への残虐行為も私刑といえる。

中世以前のヨーロッパでは、フェーデやアハトのような私刑原理があり合法であった。しかし1400年代になると公権力による刑罰権の回収が行われると私刑は違法になった。ドイツでは1495年、マクシミリアン1世による「永久ラント平和令」の制定によって一切の私刑が禁止された。

西部開拓時代、フロンティアの地などでの犯罪者に対し、法の裁きを経ず民衆による私的制裁が加えられていたが、この行為を、アメリカ独立戦争時、暴力的行為を働くことで知られたチャールズ・リンチ大佐 、ウィリアム・リンチ判事に因み、リンチと呼称するようになった。

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アメリカ南北戦争以前において私刑は治安や秩序維持のために行われるものとされ、素行の悪い奴隷や共同体の規範を逸脱するものに対し、民衆の自警組織によって行われるものであった。その後、白人至上主義のKKK団が結成され、黒人を対象に私刑を率先して行う役割を持ち、リンチの持つ意味が秩序統制から異人種憎悪の表現へと変化していった。
犯罪事件などを中心に、主として、ワイドショー、週刊誌、ニュースショー、パパラッチなどによって、庶民感情の犯罪への憎悪や覗き見趣味を煽る形で事件にまつわる被害者、加害者を問わず、人間関係やプライバシーなどがマスメディアによって当事者の意向が無視された状態で一方的に流されてしまうことでプライバシーの侵害や名誉毀損が行われている状況の総称。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/12/post_35.html</link>
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         <pubDate>Fri, 04 Dec 2009 00:30:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>水雷の実用化に対する最初の試みは</title>
         <description><![CDATA[水雷の実用化に対する最初の試みは、曳航式や刺突式の外装水雷となって一応の完成を見た。しかし、この水雷は次のスタイルが確立すると急速に廃れた。すなわち、自走水雷こと魚雷の登場である。これらの水雷兵装の研究は強力な海軍の整備に後れを取っていたアメリカ合衆国において、その遅れを奪回するために盛んに行われた。こうして、魚雷艇登場の基礎が形成されていった。

より厳密に魚雷艇の創始者と言えるのがロシア帝国のステパン・マカロフで、彼は露土戦争中の1878年1月14日、チェスマーとシノープという2 隻の艦載水雷艇で以ってオスマン帝国の仮装巡洋艦を奇襲、魚雷攻撃により撃沈した。チェスマーやシノープは「水雷ランチ」と呼ばれる排水量わずか数 tの小型艇であったが、これこそがのちにいう奇襲艇「魚雷艇」の始まりといえるものであった。

最初の水雷艇は、30 tから100 t程度の排水量で12 knから18 knの速力を持ち、武装は1 門から2 門程度の180 mm魚雷を搭載していた。火砲装備は軽量のものだけで、艇によってはまったく搭載していなかった。
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水雷艇にとって最初の実戦経験期となった1878年から日露戦争終結の1905年の間に得られた経験から、水雷艇は任務を遂行するためには性能が不十分であり、その特性を十分生かすにはさらなる改良が必要であることが明らかになってきた。水雷艇の欠点として挙げられたのが、高い脆弱性と貧弱な魚雷搭載量、航続距離の不足、不十分な航洋性、そして魚雷自体の性能不足であった。こうした欠点を克服するために、いくつかの戦術が考え出された。すなわち、攻撃は集団で行うこと、活動時間帯は夜間が好ましいこと、沿岸部のような視認性の悪い海域や海峡のような航行の不自由な海域で行うこと、このような条件下において魚雷の一斉発射による攻撃を行うこと、そして攻撃ののちは可及的速やかに戦場を離脱すること、である。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/11/post_34.html</link>
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         <pubDate>Fri, 27 Nov 2009 23:52:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本酒</title>
         <description><![CDATA[日本酒（にほんしゅ）は、米を発酵させて作る醸造酒で、日本の伝統的な酒の一つである。日本の酒税法上では清酒（せいしゅ）、日本では、一般には単に酒（さけ）またはお酒（おさけ）、日本古語では酒々（ささ）、僧侶の隠語で般若湯（はんにゃとう）、現代では俗にポン酒（ぽんしゅ）と呼ばれることもある。

なお、国名を冠するが「中国酒」などと異なり日本を発祥とする酒の総体ではなく、独特の製法で作られた酒の一種を指す言葉である。日本伝統の酒には他にみりん・焼酎 （沖縄では泡盛）がある。

約5℃から約60℃まで幅広い飲用温度帯がある。同じアルコール飲料を同じ土地で異なった温度で味わうのを常としているのは、日本酒だけである。料理で魚介類の臭み消しや香り付けなどの調味料としても使用される。
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近年、発祥国日本での消費は減退傾向にある一方、アメリカ合衆国・フランスの市場では日本酒、とくに吟醸酒の消費が拡大し、イギリスでも2007年、伝統あるワインコンテストに日本酒部門が設置されるなど、「sake」（"サケ"あるいは"サキー"）として親しまれるようになっている。

日本酒の主な原料は、米と水と麹（米麹）であるが、それ以外にも酵母、乳酸菌など多くのものに支えられて日本酒が醸造されるので、広義にはそれらすべてを「日本酒の原料」と呼ぶこともある。専門的には、香味の調整に使われる「醸造アルコール」「酸味料」「調味料」「アミノ酸」「糖類」などは副原料と呼んで区別する。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/11/post_33.html</link>
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         <pubDate>Mon, 23 Nov 2009 00:36:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に</title>
         <description><![CDATA[日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠（きっこうでん/きこうでん）や佛教の盂蘭盆会（お盆）などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊（祖先の霊）が宿る依代である。

七夕を特別な日とすることがいつから起こったかは定かではない。この日の行事について書かれた最も古い文献は後漢時代の崔寔が書いた『四民月令』に書物を虫干しにしたことが記されているが、七夕の風俗を記したものとしては東晋に葛洪が記した『西京雑記』に「漢彩女常以七月七日穿七孔針于襟褸、人倶習之」と記録されたものが初見である。
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織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされている[4]が、まだ7月7日との関わりは明らかではない。その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠と織女・牽牛伝説が関連づけられていることがはっきりと分かる。また六朝・梁代の殷芸（いんうん）が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」（「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文）という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった最も古い時期を考証できる史料のひとつとなっている。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/11/post_32.html</link>
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         <pubDate>Tue, 03 Nov 2009 02:20:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>消防総監の表彰は</title>
         <description><![CDATA[消防総監の表彰は、東京消防庁に勤務する消防吏員、並びに特別区の消防団員及び職団員の家族、そして東京都内の災害においてその鎮圧と予防に功績・善行のあった市民を表彰している。

消防総監表彰の場合、消防吏員・消防団員に対する消防総監表彰は功績表彰と優良表彰の二等があり、功績に応じてこれを授与している。吏員及び消防団員に対する表彰の場合、特別表彰においては、防災功労章、精勤功労章又は特別功労章が授与される。功績表彰には功績章が優良表彰には優良章が授与される。また、特別区消防団員がこれら消防総監表彰を受彰した場合、功績表彰は第3号表彰歴章を、優良表彰は第9号表彰歴章を佩用することができる。なお、優良表彰を複数回受賞した場合、第9号歴章にクリスタルのダイヤ型を入れたものを佩用することができる。
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市民に対する総監表彰は、感謝状を持って行われている。

消防吏員に対する消防総監賞については、普通賞の他、精勤賞、勤続賞、善行賞、機器考案賞がある。部外者に対する消防総監賞については、特に功労ある場合、消防協力章または消防行政特別協力章が贈呈される。厳密には消防総監表彰と消防総監賞は区別されるが、概ね総監表彰は総監賞と略称・通称する場合も多い。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/10/post_31.html</link>
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         <pubDate>Sun, 25 Oct 2009 02:24:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人魚</title>
         <description><![CDATA[人魚（にんぎょ）とは、水中に生息すると考えられた伝説上の生き物。ヨーロッパで伝えられるものと中国、日本の伝承とでは、形状や性質は全くちがう。

ヨーロッパの人魚は、上半身がヒトで下半身が魚類の体の場合を人魚と呼ぶことが多い。人魚は、マーフォーク(merfolk)とも言われ、特に若い女性の人魚はマーメイド(mermaid)、男性の場合はマーマン(merman)などと呼ばれる。伝説や物語に登場する人魚の多くは、このマーメイドである。今日では海棲哺乳動物のジュゴンの見間違いに端を発したという話（ジュゴンも参照のこと）が広く流布しているが、学術的根拠があるわけではない。むしろ象徴性とアレゴリーに積極的根拠があるものと考えられている。
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不吉な象徴とされることが多く、たいていの文学作品では、人魚は最後まで幸せなままでいることはない[1]。尾びれが1つと思われがちだが、古い絵などには2つの尾びれを持った物が多く描かれている（ヨーロッパの古い紋章の中にも、2股に分かれた尾部を持つ人魚をかたどるものがあり、そのような紋章は、現代風にデザイン化した形ではあるが、今でもスターバックス・コーヒーやマドンナ社（出版社）の商標の中に見ることができる）。
一方、東洋の人魚のイメージは、ヨーロッパの人魚のイメージを蛇女房、龍女房伝説と重ね合わせたもので、不知火や仙崎のお静伝説（不死の肉により八百年生きる少女の話）をも取り込み、八百比丘尼伝説が生まれることとなった。なぜ比丘尼かというと、「海女」→「尼」の語呂合わせである。『山海経』では「人魚」とは河に住む生き物で、テイ魚（テイは魚偏に帝。通説によればオオサンショウウオの意）に似るとされる。]]></description>
         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/10/post_30.html</link>
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         <pubDate>Thu, 15 Oct 2009 00:04:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>家畜の定義は「その繁殖に関して人間が決定的に関与する動物</title>
         <description><![CDATA[ネコがはたして家畜であるのかという問題に関しては、現在も議論が続いている。家畜の定義は「その繁殖に関して人間が決定的に関与する動物」というものだが、現在世界に分布するイエネコの繁殖に関してはその大部分がその管理外あるいは放し飼いと推測され、ネコ自身による自由な繁殖に任されている。イヌと異なり、人に直接的に危害を加える危険性は低いため｢野良猫」は｢野良犬」ほど社会問題視されることは少ない。
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ネコを家畜として見た場合の利用例としては三味線を挙げられる。16世紀末に中国より日本本土に伝わった三弦の楽器が、猫皮を使用するようになり、これが三味線へと変化した。

同じ日本においては江戸時代、食用すべきでない獣肉の一つとしてネコが記録されているが、明治期の夏目漱石が著した『吾輩は猫である』の冒頭などには、貧乏書生が捕まえて煮て食ったなどの話も見られる。昭和初期までは困窮層に「おしゃます鍋」（「猫じゃ猫じゃ」の歌詞に由来、つまり「猫鍋」）なる言葉も残っていた。猫鍋は泡が立ち、味がよくないと言い伝えられている。食糧不足の太平洋戦争中、ネコは日本人の捕食対象だった。
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         <pubDate>Tue, 07 Jul 2009 21:36:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エスカレーター（英語：Escalator）は、主として建物の</title>
         <description><![CDATA[エスカレーター（英語：Escalator）は、主として建物の各階を移動する目的で設置・利用される階段状の輸送機器。

"Escalator"という語は元々、アメリカ合衆国の企業オーチス・エレベーター社 (Otis Elevator Company) の登録商標で、商品名である。しかし、当時この自動式階段を表す適当な語句が他に無く、一般に「エスカレーター」と呼ばれたため、普通名称化した経緯がある。オーチス・エレベーター社では既に商標権を放棄している。

外観は階段に酷似し、自動で昇降する階段状の踏み面（ステップ）とステップと連動して動くベルト状の手すりを特徴とする。

機構の露出部分の多さから建物のインテリアに大きな影響を与えるので、意匠に工夫を凝らしたものが多い。らせん状のスパイラルエスカレーター（三菱電機製のみ、写真参照）や、途中で水平部分をもつエスカレーターも登場している。また、乗り降りを容易にするため、乗降口に水平部分を持たせた（踊場のある）エスカレーターも出回っている。最近では操作を行うことで複数のステップが水平部分を構築し、車椅子を乗せられるものもある。

規格としては、横幅（欄干有効幅）1,200mmと800mm、傾斜角度30度のものが標準的なものである。近年の建築基準法の改正で傾斜角度35度のエスカレーターの設置も認められている。また動く速度は通常、毎分30mであるが、変速装置を取り付けることで、毎分20mから40mまで調節できる。
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実例としては、深い場所にある地下鉄駅で、最大の毎分40mに設定しているエスカレーターがある。逆に、一部の大型ショッピングセンターなどで、高齢者などへの安全を図って通常よりも遅く設定している場合もある。 

ステップ 
踏板 - ステップのメインとなるところ 
ライザ - ステップの蹴上げ部分 
ステップチェーン - ステップ同士を連結するチェーン 
駆動ローラ - ステップチェーンの左右についており、ステップを牽引するためのローラ 
追従ローラ - ステップの左右についており、踏板を水平に保つためのローラ 
駆動レール - 駆動ローラを走行させるレール 
追従レール - 追従ローラを走行させるレール 
車椅子専用ステップ - 特殊ステップがフォークを利用して車椅子が乗れる大きさにできる。 
スカートガード - ステップの両側の鉄板で、側面をふさぎ表面を平滑に保つ 
駆動装置 
駆動ユニット - 電動機と減速歯車からなり、ステップチェーンを走行させる 
駆動チェーン - 駆動ユニットからステップチェーンに動力を伝達するチェーン 
手すり 
手すり駆動ローラ - 手すりを駆動させるためのローラ 
手すりチェーン - 手すり駆動ローラを回転させ、手すりに動力を伝達するチェーン 
加圧ローラ - 手すり駆動ローラと対になって手すりを表裏から挟み込み、手すり駆動ローラの摩擦力を確保するローラ 
手すり案内レール 
インレット - 帰路側への手すりの出入り口で、手や物の引き込まれを防ぐために安全装置が設けられる 
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         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/06/escalator.html</link>
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         <pubDate>Wed, 17 Jun 2009 07:14:49 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>大祚栄が震国を建国した当初は唐と対立していた</title>
         <description><![CDATA[そのため当初は突厥や新羅との通好による唐の牽制を外交方針の基本にしていたが、唐の中宗が即位すると、張行芨を派遣・招慰し両国の関係改善の転機をもたらした。大祚栄もこの招慰を受け入れ、王子を唐に入侍させ、唐に従属する政治的地位を確認した。713年には唐は大祚栄を「左驍衛員外大将軍渤海郡王」を封じ、冊封体制に組み込まれるようになり、その後は「渤海国王」と「渤海郡王」と冊封の官称に変化はあったが、原則として渤海の滅亡までこの関係は維持された。

招慰を受けた渤海は質子の制度に基づき、子弟を唐に遣している。大祚栄の嫡子であった大門芸が派遣されたのが初見であるが、渤海からの質子は単なる人質としてではなく、皇帝の謁見、賜宴を受け、時には皇太子の加冠や謁陵、時節の朝儀などに列席するなどの待遇を受け、また唐にて客死した場合は位階の追贈や物品の下賜を受けるなどの特別待遇を受けている。これは渤海との関係が良好であったための待遇と考えられる。

この他渤海は唐の藩属として定期的に方物を献上し朝貢を行っていた。朝貢の際には「土貢」を献上すると同時に国内状況を奏上していた。この他、元旦や各節句に「賀正使」と献礼の使節を派遣した。これらの使節はほぼ毎年の派遣が記録に残されており、また1年に2?3度も使節派遣を行っていることが知られており、渤海は独立した政権を確立すると同時に、冊封体制下での唐との外交関係を滅亡まで継続していた。

698年に震国が建国された際に新羅はかつての百済全土及び高句麗の一部を領有すると共に、北進政策を採用して渤海の安定を脅かすようになった。またその渤海は唐と対立しており、唐の脅威を抑え、同時に新羅の北進を牽制するため新羅に接近する政策を採用した。当初は新羅の藩屏と称し、新羅の五品の官職である大阿飡を授位されている。しかしその後渤海と唐の関係が好転するに従い、渤海の新羅に対する依存関係は変質を来たし、大武芸の時代になると高句麗の故地の回収を目標とすることとなり両国関係は緊張、それは721年に新羅が北辺に長城を築城したことに現れている。

渤海と唐が「登州の役」で対立した際、新羅は唐の出兵の求めに応じ渤海を攻撃したが、悪天候に阻まれ新羅軍は大損害を蒙っている。この出来事は新羅の北進政策を抑制すると共に、唐と新羅の対立を政治的に解消させる効果をももたらした。新羅はこの功績により唐から寧海大使の地位を与えられ、?江以南の高句麗の故地統治を正式に承認させることに成功したが、同時に渤海を牽制する役割をも担うこととなり、渤海と新羅は厳然と対立することとなった。
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新羅との対立という状況に際し、渤海は日本と通好することで新羅を背後から牽制することを画策した。安史の乱に際し、渤海は日本と共同して新羅挟撃を計画したが、これは藤原仲麻呂の乱により計画が頓挫したことで、軍事的解決の姿勢を放棄し、以降は政治的解決を模索するようになる。新羅側から790年に一吉飡（7品）の伯魚を、812年に級飡（9品）の崇正を渤海に派遣していることは、政治的な安定を模索した結果であり、新羅道の発展を創出することになる。

この良好な関係も、大仁秀が即位して渤海の領土拡張を目指すようになると、再び両国の均衡は崩壊することになる。826年には新羅の憲徳王が?江に300里の長城を築城したことからも情勢の変化を読み取ることができる。

次に両国の関係が好転するのは10世紀の契丹の勃興という外的要因による。渤海は契丹に対抗すべく新羅との和解を図る。しかし当時の新羅は国勢が衰退し、既に後三国の時代に入っており、軍事的に渤海を支援し契丹に対抗する力は無く、そればかりか渤海の苦境に乗じ?江以北への侵攻を行った。新羅は一面で渤海に従うそぶりを見せ、反面遼に使者を送り方物を献じるとう二面性の外交を展開した。遼が王都の忽汗城を包囲した際には、新羅は渤海に出兵し、更にこの軍功により耶律阿保機により褒賞を受けている。

渤海の存続期間全体を俯瞰するに、渤海と新羅の両国は対立の歴史と捉える事が可能である。

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         <pubDate>Sun, 31 May 2009 09:37:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title> 液体酸素/ケロシン </title>
         <description><![CDATA[液体酸素を酸化剤、ケロシンを燃料とするロケットは、燃料の調達も取り扱いも容易であるという理由から古くから用いられてきた。低温の液体酸素を使うため燃料をタンクに貯蔵したまま保存することはできず、比推力はヒドラジン系に勝り後述の液体酸素/液体水素系より劣る。しかし液体酸素/液体水素系より推進剤の密度が大きいために、推力が大きくて寸法が小さく、構造効率の良いロケットを製作できることから、衛星打ち上げロケットの第1段として単体で使用することに向いている。
液体酸素を酸化剤、液体水素を燃料とするロケットは、現在実用されている液体燃料の推進剤の組み合わせでは最高の比推力を持ち、そのために、特に衛星打ち上げロケットの2段目や3段目にこれを用いた場合、他の液体燃料よりもペイロードを増大させることが出来る。しかし、液体水素の密度は水の1/14ときわめて小さく、それを収めるタンクは極めて大きなものとなって構造効率は大きくなる。また、沸点が-252.6℃と極低温の燃料であり、燃料タンクには断熱を施さねばならず、極低温による金属の収縮、脆化を考慮しなければならない。燃料ポンプ(ターボポンプ)は極低温で動作しなければならないうえに、二段燃焼式の場合、駆動タービン側は高温になるため、極端な温度差に加えて猛烈な震動の環境下で確実に動作する高度な信頼性が求められる。ロケットへ燃料を注入した後は、タンク内で蒸発した燃料ガスの圧力を逃がすために外部へガスを排出しており、またロケット本体の断熱が完全ではないため空気中の水分がロケットの外部に少しずつ氷結してゆく。このため時間と共に燃料が目減りし、ロケットが重くなってゆくことになる。加えてターボポンプの流量や回転数の問題から、液体酸素/ケロシン系のエンジンに比べて大推力のエンジンを製作することが難しいので、衛星打ち上げロケットの第1段にこれを用いる場合、重力損失を軽減するため固体ロケットブースタを付加して推力を増強し、液体酸素/液体水素エンジンそのものは固体ブースタで高空に持ち上げた後の加速を主眼において設計する、などの手法が必要となる可能性がある。
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代表的なLOX/LH2エンジンには、第1段用としてはNASA、スペースシャトルのメインエンジン (SSME)、ESAのヴァルカン、JAXAのLE-7A、上段用としてはのNASAのJ-2やRL-10、JAXAのLE-5Bなどがある。

スペースシャトルや種子島宇宙センターのロケット打ち上げ時に出る大きな雲状のものは燃焼ガスと注水の水（音響と熱による発射設備の損傷防止用）の「湯気」の霧の混合物である。打ち上げの写真を注意深く見ると固体燃料燃焼ガスの茶色い雲（塩酸霧が主）と真っ白の水の霧の二種類が分かる。水霧の一部は液体酸素-液体水素メインエンジンの燃焼による水蒸気由来である。
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         <link>http://cfec9z4.aozora2000.net/2009/04/post_27.html</link>
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         <pubDate>Mon, 27 Apr 2009 13:37:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>PSR B1257+12</title>
         <description><![CDATA[PSR B1257+12は、太陽から約980光年の距離にあるパルサーである。

2007年までに3つの太陽系外惑星が見つかった。先に発見された2つは初めて発見された太陽系外惑星となった。

PSR B1257+12はおとめ座方向の地球から980光年に位置する。この名称は、B1950.0元期に由来するものである。

PSR B1257+12は1990年にポーランドの天文学者アレクサンデル・ヴォルシュチャンがアレシボ天文台の電波望遠鏡を用いて発見した。中性子星に属するミリ秒パルサーで、時折り異常なパルスを見せることが発見された。6.22ミリ秒に一度自転している。

1992年、ヴォルシュチャンらはこのパルサーが2つの惑星を伴っていることを発見した。これは初めて見つかったパルサーの太陽系外惑星で、惑星は主系列星のみが持つものだと信じていた多くの天文学者達を驚かせた。実はPSR 1829-10というパルサーでも以前惑星の存在が主張されたことがあったが後に計算ミスが発覚して取り下げられたことがあったため、これについても当初は疑惑の目で見られた。後にもう1つの惑星も発見され、小惑星帯やエッジワース・カイパーベルトさえ持っている可能性もある。

惑星は岩石質の核を持つ木星型惑星か異常な超新星爆発の残骸であると考えられている。もしこれらが超新星爆発の前からあったとすると、理論上は大きな岩石質の核を持つ巨大ガス惑星だったことになるが、その大気は爆発の衝撃で吹き飛び、核のみが現在の軌道に落ち込んだものと思われる。

命名に関して、他の地球外惑星の場合は、発見された順にb，cと続いていくが、PSR B1257+12の場合はパルサーから近い順にAからDまでの名前が付けられている。

 PSR B1257+12 A [編集]
PSR B1257+12 Aは最も内側の、パルサーから約0.19天文単位の軌道を約25日間かけて公転している。1997年に、これは太陽風による錯覚だという主張がなされたが、後に否定された。この惑星は地球の月の2倍ほどの大きさである。

 PSR B1257+12 B [編集]
PSR B1257+12 Bは内側から2番目の、パルサーから約0.36天文単位の距離を約66日間かけて公転している。大きさは地球の4倍以上である。惑星BとCの軌道はとても近いので、これらは互いの軌道を摂動している。摂動の観測によって、これらの惑星の実在は疑いのないものになった。またこれによって2つの惑星の重量と軌道傾斜角が正確に計算された。

 PSR B1257+12 C [編集]
PSR B1257+12 Cは内側から3番目の、パルサーから約0.46天文単位の距離を約98日間かけて公転している。地球の4倍近い大きさである。


 彗星（推定） [編集]
パルサーから約2.6天文単位の距離を3.5年間かけて、小惑星か彗星が公転しているのではないかという説がある。この天体は非常に小さいので惑星だとは見なされないが、これは初めて発見された太陽系外の小惑星か彗星である。またこれはパルサーの周りにある無数の微小天体のうち、最も大きいものであるのかもしれない。重量は、最大で冥王星の0.2倍（地球の0.0004倍）で、直径は1000kmに満たない。この天体の実在はまだ確定されていないが、PSR B1257+12 Dと呼ばれることもある。

 木星型惑星（推定） [編集]
1996年、パルサーから40天文単位の軌道を公転している、土星に似た地球の100倍の重量の木星型惑星が発見された。この惑星系の4番目の惑星ということで、PSR B1257+12 Dと名づけられた。しかしこの発見は、後に撤回されている。現在では、この惑星を示すシグナルは小惑星か彗星から来たのだろうと考えられている。

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         <pubDate>Sun, 12 Apr 2009 07:29:40 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>ハエドゥイ族</title>
         <description><![CDATA[ハエドゥイ族（ラテン語:Haedui, 仏: Éduens）は、ガリア人の部族の一つである。ローマ属州ガリア・ルグドゥネンシスの内のアラル川（現：ソーヌ川）とロダヌス川（現：ローヌ川）に挟まれた地区に住んでいた。

ストラボンによると、ハエドゥイ族はアラル川とドウビス川（現：ドゥー川）に挟まれた地区が元々の居住地であったとしている。主邑はビブラクテ (Bibracte)。紀元前6世紀にイタリア半島へ侵入したガリア軍の中にはハエドゥイ族も加わっていた。

ハエドゥイ族はローマから支援を受けたことで、ガリアでアルウェルニ族と並ぶ有力な部族へと成長し、紀元前123年にはローマからは「ローマ国民の兄弟と血縁者」の称号を受けた。

紀元前70年頃、アルウェルニ族の一派であったセクアニ族がスエビ族のアリオウィストゥスと同盟を結び、これと戦ったが敗北し、多くの人質をセクアニ族に渡して従属した。しかし、アリオウィストゥスはセクアニ族を押さえつける形でガリアへ定住の構えを見せたことから、紀元前61年頃にセクアニ族からの要請でハエドゥイ族はアリオウィストゥスと戦ったものの、アドマゲドブリカで大敗を喫した。ハエドゥイ族のディウィキアクスはこの窮状をローマ元老院に訴えたが、ガイウス・ユリウス・カエサルがコンスルであった紀元前59年にアリオウィストゥスは「ローマ国民の友」の称号を元老院より得ており、この訴えは失敗に終わった。

紀元前58年、ガリア総督となったカエサルによってアリオウィストゥスはゲルマニアへと追放され、ハエドゥイ族はスエビ人の支配から脱した。紀元前52年にウェルキンゲトリクスを指導者として全ガリアが蜂起するとガリア連合軍に加わったものの、敗北後はローマ側へ降伏した。

アウグストゥス治世期にビブラクテは取り壊され、新しく設置されたアウグストドゥヌム(現：オータン)へと移住した。

その後、ハエドゥイ族からは幾人ものローマ帝国の政府高官を輩出した。

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         <pubDate>Fri, 27 Mar 2009 17:35:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>マントヴァ</title>
         <description><![CDATA[イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県のコムーネの一つで、マントヴァ県の県都である。

マントヴァは三方を12世紀につくられた人工湖によって囲まれている[1]。これらはガルダ湖から発したミンチョ川の水をせき止めたものである。3つの湖はそれぞれ大きな方から、スペリオーレ湖、メッツォ湖、インフェリオーレ湖と呼ばれている[2]。4番目の湖パジョロ湖はかつて市を環状に巡った防御用のものであったが、18世紀末に干拓された。

マントヴァは、ウィリアム・シェークスピア作の悲劇『ロミオとジュリエット』の中に登場する。劇中、ロミオはティボルトを誤って殺害し、町から追放される。彼はただちにマントヴァへ向けて発ち、愛するジュリエットの死の知らせを聞いてヴェローナへ帰還する。
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マントヴァは、カトリックのマントヴァ司教座が置かれている。
市の前身である定住地ができたのは紀元前で、ミンチョ川岸にある天然の防御地ともいうべき島の上であった。そしてそこに暮らすようになったのはエトルリア人であった。

マントヴァという名は、エトルリアの神マントゥス（ギリシャ神話のハデス神に相当する）に由来する。ガリア人の一部族セノマニ族に占領された後、第一次ポエニ戦争と第二次ポエニ戦争の間にローマ人によって征服された。彼らはギリシャ神話の予言者テイレシアースの娘マント（en）とマントヴァの名前を混同していた。新たな領土は、アウグストゥスの退役した兵士らが入植した。古代ローマの詩人ウェルギリウスは、マントヴァ近郊で生まれたとされている。

ローマ帝国滅亡後、マントヴァは東ローマ帝国、ランゴバルド王国、フランク王国に占領された。11世紀、トスカーナ侯であるボニファーチオ・ディ・カノッサが町を領有した。彼の一族最後の支配者は、マティルデ・ディ・カノッサ女伯で、言い伝えによると、彼女は貴重なサン・ロレンツォのロトンダ（1082年）建設を命じたとされる。

マティルダの死後、マントヴァは帝国自由都市となった。12世紀と13世紀には熱心に神聖ローマ帝国から自らを守った。1198年、アルベルト・ピテンティーノがミンチョ川流域を効果的に活用した。彼はマントヴァ人が4つの湖と呼ぶ市の天然の防衛設備をつくり、補強したのである。1215年から1216年、市はゲルフに属するランベルティーノ・ブヴァレッリの勢力下へ入った。

ゲルフとギベリンの闘争の最中、ピナモンテ・ボナコルシが1273年に混沌とした状態つけこんで実権を掌握した。彼の一族が14世紀までマントヴァを支配し、さらなる繁栄と都市の芸術的な美をつくった。1328年8月16日、最後のボナコルシ家当主リナルドは、一族に仕える兵士であったゴンザーガ家が背後で操る反乱で倒された。1318年に市のポデスタであったルイージ・ゴンザーガは、市民隊長に選ばれた。ゴンザーガ家が5つの門を持つ新たな市壁を建て、14世紀には市の建築物を修繕した。しかし、市での政治的な地位は三代目のルドヴィーコ1世・ゴンザーガの代まで確固なものではなかった。彼は競争相手である親族を排除し、自身で実権を握った。

1433年、ジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガはフローリン金貨12万枚を支払ったことで、神聖ローマ皇帝ジギスムントによてマントヴァ侯位を授けられ、彼の息子ルドヴィーコが、ブランデンブルク＝クルムバッハ辺境伯ヨハンの娘、バルバラ・ディ・ブランデブルゴと結婚した。1459年、ローマ教皇ピウス2世はマントヴァにおいて、対オスマン帝国の十字軍を宣言する会議を開いた。有名なルネサンス期の画家アンドレア・マンテーニャはマントヴァで宮廷画家として働き、優れた作品を残している。

1530年、フェデリーコ2世・ゴンザーガは、皇帝カール5世よりマントヴァ公の称号を授けられた。フェデリーコ2世はジュリオ・ロマーノに命じてパラッツォ・デル・テ（テ宮殿）をつくらせた。この宮殿は市の外面を占め、市の都会計画化側面を完全に改革した。マントヴァについて、詩人トルクアート・タッソは、1586年に書いている:

マントヴァは非常に美しい都市であり、マントヴァを見るのに1千マイル旅行するほど値打ちがある

1624年、フランチェスコ4世・ゴンザーガは公の邸宅を新たなヴィッラ・デッラ・ファヴォリータへ移した。この邸宅を設計したのは建築家ニッコロ・セブレゴンディである。

1627年、ゴンザーガ家の直系男子がひ弱なヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガをもって断絶すると、マントヴァは新たな支配者となったフランスでの分枝ゴンザーガ＝ネヴェルス家のもとでゆっくりと衰退していった。マントヴァ継承戦争が勃発し、1630年には36,000人もの帝国軍側傭兵（ランツクネヒト）によってマントヴァは包囲され、黒死病が町に蔓延した。マントヴァはこの大災害から回復することはなかった。最後のマントヴァ公カルロ4世・ゴンザーガ＝ネヴェルスは、スペイン継承戦争においてフランス側と同盟した以外は、支配者に不向きな人物であった。カルロ4世はマントヴァを帝国に奪われると約百点にのぼる絵画とともにヴェネツィア共和国へ亡命した。1708年にカルロが死ぬと、マントヴァ公位は廃位され、ゴンザーガ家は永久にマントヴァを失い、以後ハプスブルク家支配となった。

オーストリア支配のもと、マントヴァは復興を謳歌し、この時代、王立科学アカデミー、劇場、そして多くの邸宅が建てられた。

1796年6月4日、ナポレオン戦争の最中、第一次対仏大同盟に加わっていたオーストリアに対抗するナポレオンにマントヴァは包囲される。オーストリア軍とロシア帝国軍は包囲網を突破するのに失敗したが、別の戦闘で戦った7月31日に包囲が断念されるほど十分にフランスの包囲網は厚く広げられた。包囲戦は8月24日に再び始まった。2月上旬、市は降伏し、フランス管理下へ下った。2年後の1799年、オーストリア軍のマントヴァ包囲戦によって、マントヴァはフランスから解放された。

のち、市は再度ナポレオンに占領された。1810年、ジューリア門（ボルゴ・ディ・ポルトにある市門）において、反ナポレオン暴動をチロルで率いていたアンドレアス・ホーファーが銃撃された。

事実上のフランス支配の後、マントヴァは1814年にオーストリア支配へ復帰し、北イタリアの要塞都市クアドリラテロの一つになった（他はペスキエーラ・デル・ガルダ、レニャーノ、ヴェローナ）。オーストリアに対する扇動が、1851年から1855年にかけての反乱として全盛を極めた。そしてそれは最終的にオーストリア軍に弾圧された。イタリアのリソルジメントを象徴する有名なエピソードの一つに、反乱分子らがオーストリア軍によって絞首刑とされたベルフィオーレ谷事件がある。

1866年、マントヴァはサルデーニャ王国によるイタリア再統合運動によって併合された。

ゴンザーガ家は芸術と文化を保護し、レオーネ・バッティスタ・アルベルティ、アンドレア・マンテーニャ、ジュリオ・ロマーノ、ドナテッロ、ルカ・ファンセッリ、ニコロ・セブレゴンディといった重要な芸術家を抱えていた。これら多くの傑作がちりぢりになっても、マントヴァの文化的価値はそれでもなお傑出している。

パラッツォ・テ（en）　-　晩年マントヴァで暮らしたジュリオ・ロマーノが、成熟したルネサンス様式でつくった。フェデリーコ2世・ゴンザーガの夏の宮殿であった。現在はチヴィコ美術館が入っている。 
パラッツォ・ドゥカーレ (マントヴァ)（en）　-　ゴンザーガ家の有名な居城。多くの建物、田園庭園、庭園がパラッツォ・デル・カピターノ、マニャ・ドムス、カステッロ・ディ・サン・ジョルジョ周囲に集まっている。 
サンタンドーレア・ディ・マントヴァ聖堂（en）　-　ルネサンス様式。ルドヴィーコ2世・ゴンザーガの命でレオーネ・バッティスタ・アルベルティが設計。 
ドゥオーモ (マントヴァ)（en）　-　現在の建物は14世紀のゴシック様式 
ロトンダ・ディ・サン・ロレンツォ（en）　-　カノッサ伯家時代に建てられた、マントヴァ最古の教会 
ビビエナ劇場（it） 
サン・セバスティアーノ教会（it）　-　15世紀 
パラッツォ・ヴェスコヴィーレ（Palazzo Vescovile di Mantova、司教邸宅） 
パラッツォ・デリ・ウベルティ（Palazzo degli Uberti） 
ガッビア塔（Torre della Gabbia、籠の塔） 
パラッツォ・デル・ポデスタ（Palazzo del Podesta）　-　現在タツィオ・ヌヴォラーリ博物館が入っている。 
オロロジーオ塔（Torre dell'Orologio、時計塔）のあるパラッツォ・デッラ・ラジオーネ（Palazzo della Ragione） 
パラッツォ・ボナコルシ（Palazzo Bonacolsi） 
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         <pubDate>Thu, 12 Mar 2009 10:06:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>海のトリトン</title>
         <description><![CDATA[海棲人類トリトン族の赤ん坊「トリトン」を拾ってしまった漁村の少年「矢崎和也」を主人公とし、抗争に巻き込まれた第三者の冒険と根性のストーリーになるはずだったが、作者自身が純然たる冒険活劇とした方が作品として面白くなる事に気づき、物語中途で和也を失踪させ、主人公をトリトンに交代させた。
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アニメ版のストーリーに比べて、トリトンが陸の人間として成長し、知識と武術を習得して海に出るまでを丹念に描き、水中でも息が出来るだけのようなトリトンが海の怪物にも等しいポセイドン族と互角に戦える理由を説明している。ポセイドン族との抗争の他、トリトン族と人間との好意的とは言いがたい接触がストーリーのもう一本の柱になっている。

手塚の旧作である『ロック冒険記』との類似点が多く、セルフリメイクとも言える。
単行本
サンデーコミックス『海のトリトン（秋田書店）』全4巻 
手塚治虫漫画全集『海のトリトン（講談社）』全4巻 
手塚治虫傑作選集『海のトリトン（秋田書店）』全3巻 
秋田文庫『海のトリトン（秋田書店）』全3巻 

 アニメ
1972年4月1日から同年9月30日までABC制作、TBS系で毎週土曜日19:00 - 19:30に全27話が放送された（ここから、それまでTBS制作番組だったのがABC制作番組に変わる）。アニメーション・スタッフルーム製作。もともとは虫プロダクションでアニメ化する予定でパイロット版まで制作された。しかし、虫プロの経営悪化による混乱の中、アニメ化の権利を『宇宙戦艦ヤマト』の西崎義展が取得。虫プロ商事のスタッフを中心に設立したアニメーション・スタッフルームで製作されることとなった。西崎のテレビアニメ初プロデュース作品であり、富野喜幸（現・富野由悠季）の初監督作品でもある。実際に制作の中心となったスタジオは主に東映動画のテレビアニメシリーズの下請けをこなしていた朝日フィルムであり、監督の富野は虫プロ系のスタッフが使えなかったと後に述べた。アニメの内容は原作の手塚色がかなり薄められ、演出の富野色、いわゆる富野節が強い作品となっている。こうした製作の経緯があっため、手塚は秋田書店版の単行本のカバー袖のコメントで、テレビまんがのトリトンは自分のつくったものではないとの断りを入れている。これについて富野は、NHK『トップランナー』に出演した際、手塚は原作を失敗作だと考えていたのではないかと推察し、ストーリーの改変についても、かなり自由に任せてくれたとも回想していた。

トリトン族と人間との関わりの物語を切り捨てた代わりに、スーパーウェポンであり物語の根幹に関わるオリジナル重要アイテム「オリハルコンの短剣」を登場させて、圧倒的な敵を相手に戦闘が成り立つことを説明している。

スポンサーの中嶋製作所が商品化したポセイドン族は「ウルトラ怪獣」とされ、価格もブルマァクの怪獣ソフビ同様、350円である。

また当時、バンダイの「わんぱくイルカ」がヒットしていたのでルカーが同様のギミック(水中モーター)を搭載して商品化されている。

オープニングアニメーションの作画が放映開始に間に合わなかった最初の作品でもあり、かぐや姫と須藤リカがエンディング・テーマ『海のトリトン』を歌う映像を約1クールの間、オープニングと入れ替えて用いていた。主題歌である『GO! GO! トリトン』は、早い時期にミュージックエイト社による吹奏楽譜がリリースされたこともあり、多くの学校で吹奏楽の演奏曲目として使用されている。特に高校野球の応援によく演奏される曲目でもある。

なお、再放送に関しては、1975年3月31日にABCがテレビ朝日系列にネットチェンジしたことにより、テレビ朝日系列のある地域では、その局に移譲して行われていたところもある（静岡放送→静岡けんみんテレビ、中国放送→広島ホームテレビ、等）。また後年、毎日放送（MBS）のアニメ再放送枠「ヒーローは眠らない」でも放送され、ABC制作アニメがMBSで再放送という珍現象も起こっている。

アニメ史上の評価
アニメブームを経てからは、手塚作品というよりは、富野喜幸の初監督作品として受け取られ、守るべきものに追われる主人公、トリトン族が悪でありポセイドン族が善という衝撃のラストなど、後の『無敵超人ザンボット3』に繋がるとしてしばしば比較される。

『宇宙戦艦ヤマト』以前に高年齢層に人気を博した、アニメブームの先駆者として『ルパン三世』と並んで重要とされる作品。また日本で初めてテレビアニメのファンクラブが作られた作品で、とりわけ女性ファンの人気が高かった。主演した子役出身の声優の塩屋翼は続けて『科学忍者隊ガッチャマン』に出演したこともあり、当時の人気声優となっている。後に『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』がヒットしたことにより、本作も再評価が進められた。1978年1月25日には、「アニメ愛蔵盤シリーズ」の1作として本作のサウンドトラック『海のトリトン』(CS-7044)が発売され、オリコンLPチャートで最高4位[1]を記録した。 アニメブームが到来すると、西崎プロデューサーにより、劇場アニメ版『宇宙戦艦ヤマト』を監督した舛田利雄が監督し、テレビ版を再編集した劇場版前編（74分）が1979年7月4日に公開されたが、後編（65分）は未公開であった。前後編を合わせて収録した完全版が2002年3月にDVDで発売されている。

本編はDVD-BOXとして2001年9月21日に発売されている。また2002年10月25日には、それぞれの全5巻の単品DVDも発売されている。

アニメ版ストーリー
老漁師一平に岬で拾われた緑の髪の赤子は、トリトンと名づけられ育てられるが不吉な髪の色として疎外される。ある日一頭の白いイルカ、ルカに出会う。ルカは、トリトンが人ではなく、海棲人類トリトン族の最後の生き残りであること、トリトン族は七つの海を支配し、暴虐を尽くすポセイドン族と戦う運命にあることを告げる。イルカの言葉が判ること自体に狼狽し、それを信じようとしないトリトンであったが、一平がトリトンと一緒に拾ったトリトン族の衣装と宝物「オリハルコンの短剣」を発見し、ルカのいうことが真実だと知る。そのとき、トリトンを発見したポセイドン族の尖兵が漁村を襲い、トリトンは村を救うため、海への旅立ちを決意する。トリトン族の他の生き残りを探すため、父母の仇、村の仇であるポセイドン族を倒すため……。苦難の旅の果て、ポセイドン族の本拠地へのりこんだトリトンは衝撃の真実を知る。ポセイドン族はアトランティス人によってポセイドンの神像の人身御供として捧げられた人々の生き残りで、トリトン族は彼らの復讐によって亡びたアトランティス人の手によってポセイドン族に復讐するためにつくられた新人種であったこと、そして、ポセイドン族は安心して地上で暮らすために世界中の海を荒らし、トリトン族を虐殺してきたに過ぎないのだということを。このように、トリトン族の滅亡はアトランティス人とポセイドン族による復讐劇による因果応報の結果であって、子ども向きの勧善懲悪の物語から逸脱した当時としてはかなり救いのないラストで物語は終わってしまう。

なおこの最終話の展開については富野が独断で盛り込んで、脚本を無視してぶっつけ本番で絵コンテを描いたという
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         <pubDate>Mon, 23 Feb 2009 13:30:59 +0900</pubDate>
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         <title>中核派の源流</title>
         <description><![CDATA[中核派の源流は、1957年に結成された日本トロツキスト連盟から発展した革命的共産主義者同盟（革共同）内の黒田寛一派（革命的マルクス主義者グループ-RMG）になる。黒田は後の革マル派の創始者で、中核派と革マル派は源流が同じである。

第二次世界大戦後、 日本共産党及びソ連は、共産主義者の間で絶対的な権威をもっていたが、1955年の日本共産党がそれまでの極左冒険主義の誤りを認め、その放棄をした六全協や、1956年のソ連最高指導者が否定されたスターリン批判、またはハンガリー動乱などの事件によって、その権威は揺らぎ始めた。新しい共産主義組織への模索が始まり、そうした中、スターリンと対立していたレフ・トロツキーを再評価する組織が生まれた。1957年12月、黒田寛一、太田竜らが結成し、西京司が加わった革共同と、1958年12月に結成された共産主義者同盟（ブント）である。これがいわゆる新左翼の始まりである。
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革共同は、トロツキーが作った国際組織第四インターナショナルへの合流を主張する太田竜らのトロツキスト派に対して、黒田をイデオローグ、本多延嘉を実務の筆頭にしたRMGが、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝反スターリン主義による前衛党建設」を主張して対立した。1958年、当時の第四インターナショナルの各国支部が展開していた社会民主主義政党もしくはスターリン主義的共産党への組織的な加入戦術を日本社会党に適用することを主張して却下された太田派が、革共同から離脱し日本トロツキスト同志会を結成する。（「革共同第一次分裂」）。

その後も西京司らのトロツキスト派と、黒田、本多らのRMGとの対立は続き、そのなかで1959年初頭、黒田自らが、日本共産党の指導を受ける青年組織である民主青年同盟の情報を警視庁に売ろうとして未遂に終わっていたことが発覚（いわゆる「黒田・大川スパイ問題」）。同年8月の革共同第一回大会で「スパイ行為という階級的裏切り」として黒田は除名される。このとき、本多延嘉（後の中核派の指導者）らRMGは、黒田の後を追って革共同を離党。黒田とともに「反帝・反スターリン主義」をテーゼとする革命的共産主義者同盟全国委員会（革共同全国委）を結成する（「革共同第二次分裂」）。黒田は議長、本多は書記長に就任した。

一方、もう一つの新左翼であるブントは、学生の大衆組織である全学連の指導権を握り、1960年の 安保闘争に組織をあげて突入していく（「安保が倒れるか、ブントが倒れるか」）。ブント指導による「60年安保闘争」は国民的な盛り上がりとなるが、闘争は敗北に終わり、その結果ブントはプロレタリア通信派、革命の通達派、戦旗派などに分裂していく。革共同全国委は、安保闘争でのブントの闘争の意義を認めるよりは専ら批判を加え、自派勢力拡大のチャンスとばかりに理論闘争を仕掛けていく。安保後にブントが分解していったのとは対照的に、「革命的な左翼組織として、唯一の党的組織-組織的に存在し、思想的にも体系化されている-を持つのは革共同全国委だけ」と云われる状態になっていった。その結果、崩壊していったブントから戦旗派や、プロレタリア通信派の指導部の何名かなど、多数の活動家が革共同全国委に合流する。清水丈夫、北小路敏、陶山健一らはブントから革共同全国委に移行した人達であった。

 誕生
安保闘争後、革共同全国委は共産主義者同盟の多くの活動家を吸収し、組織拡大に成功してきた。

1962年6月、第6回参議院議員通常選挙全国区に黒田寛一を革共同全国委公認（マルクス主義青年労働者同盟、全学連推選）の候補として擁立する。選挙スローガンに「米ソ核実験反対」「憲法改悪阻止」「大学管理制度改悪粉砕」「闘う労働者党を創ろう」「帝国主義打倒、ソ連官僚主義打倒」を掲げて組織の総力を挙げて選挙戦を戦ったが、得票数約2万3千票余りで落選した。大日本愛国党総裁の赤尾敏が、同選挙において12万票余りを獲得したのと比べれば、惨敗であった。これが、「中核派」と「革マル派」に分裂する以前の革共同全国委の最大の闘争となった。

1962年9月に行われた全国委総会（いわゆる「三全総」）において、本多が起草した議案の「党建設」「労働運動方針」を巡って、本多派と黒田派に分かれた大論争に発展。半年後の翌年四月、革共同全国委の議長黒田寛一、副議長松崎明らが脱党して日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派（革マル派）を結成。中核派と革マル派の誕生である（革共同第三次分裂）。この分裂を「革共同生え抜き」と「ブントからの移行組」が決裂したものとする認識が流布されたが、本多はブントから移行した人間ではないので、これは正確ではない。なお中核派の名称であるが、本多派が全国委政治局の多数を握ったことから、引き続き正式名称は「革共同全国委」のままとなった。しかし、学生組織マルクス主義学生同盟の多数は黒田についたために、新しく作られた学生組織にマルクス主義学生同盟中核派と名づけられたことから、上部組織の革共同全国委も「中核派」と通称されるようになる。

70年安保・沖縄闘争
1960年代後半から激しさを増していったベトナム戦争に対して世界的な反戦運動が高まる中で、一貫してアメリカの政策を支持していた当時の内閣総理大臣・佐藤栄作が1967年10月8日に、南ベトナムを訪問するために羽田空港に向かったとき、これを阻止しようとして集まった三派全学連（中核派、ブント、社青同解放派系自治会で構成する全学連）や反戦青年委員会が初めてヘルメットと角材で｢武装」して、警察の機動隊を突破しようとした。この事件以降、急進的な学生や青年労働者は1968年1月の佐世保基地における原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争や同年の10.21国際反戦デー闘争など、「ベトナム反戦-日本の参戦国化阻止」を掲げて激しい街頭闘争を繰り広げることになる。中核派はこれらの闘争を70年安保の前哨戦とし「激動の7ヶ月」と呼称して全力突入、その動員力、戦闘性において群を抜く存在だった。

また同時期、学生運動では当時世界的に広がったステューデント・パワーが、東大、日大をはじめ日本全国の大学にも波及し、全学ストライキとバリケード封鎖の嵐が巻き起こった。それは既成自治会を飛び越えて作られた全学共闘会議が主導することが多く、この時期の学生運動は「全共闘運動」とも呼称される。中核派も含む新左翼諸党派は、この「学生反乱」を「70年安保闘争」と一体のものとして参画していく。

激しい警察の弾圧によって組織が消耗した結果、70年6月の安保条約自動延長に際してはゲバルト＝街頭実力闘争を手控えた中核派だが、戦闘力の回復した71年にはふたたび激しい街頭闘争を展開することになる。三里塚闘争における3月、7月、9月の行政代執行（強制代執行）において、他の新左翼党派同様に中核派も組織を挙げて現地闘争に参加した。

また、同時期に沖縄返還闘争（中核派のスローガンは「沖縄奪還」）にも熱心に取り組み10.21国際反戦デー、「渋谷大暴動を」と扇動して取り組んだ11.14渋谷闘争、11.19日比谷暴動闘争を取り組んだ。これらの闘争は、「日本帝国主義はすでに政治的には崩壊状態であり、機動隊によってかろうじて維持されている'機動隊国家'である」という情勢認識から「機動隊せん滅」という警察官の殺傷そのものを目的としたスローガンが公然と掲げられた。この一連の「沖縄決戦」において中核派は大量の逮捕者を出したが、68年の時期と比べると大衆的な広がりをもったとは言えず政治的な成果は乏しいものだった。また、革マル派の武装襲撃とそれに対する報復もこの時期に激しさを増し、70年安保・沖縄闘争における敗北感と路線喪失が次の時期の「内ゲバの季節」につながっていく。

内ゲバの激化
70年安保闘争期、中核派を始めとする多くの新左翼党派は街頭実力闘争に熱心に取り組んだ。それに対して、組織の維持拡大を重視する革マル派は大学自治会の支配権獲得に力を注ぎ、街頭実力闘争を「権力に対する挑発行為」と批判。さらに東大闘争において1969年1月の機動隊導入の直前に「敵前逃亡」し、革マル派は完全に孤立した。そこで革マル派は「暴力的党派闘争による他党派解体と勢力拡大」を目指す路線を取り、民主青年同盟ならびにすべての新左翼、さらにはノンセクトに対してまで暴力的襲撃をはじめた。とりわけ、新左翼党派で同じく最大級の規模を持つ中核派と解放派に対しては激しく行われた。中核派は街頭実力闘争による大量逮捕で組織を弱体化させていたので、この攻撃で一時大きなダメージを受ける。これに対して中核派と解放派は組織を「軍隊化」させ、暴力的報復を開始。この中核派・解放派と革マル派の「内ゲバ」は、殺人を目的化した「殺し合い」へとエスカレートしていくことになる。これらの内ゲバは学生運動を弱体化させ、大衆が新左翼から離れてゆく大きな原因の一つとなった。

1975年3月14日、中核派の最高指導者だった本多延嘉が革マル派によって殺害された。この「最高指導者の暗殺」という事態に中核派は革マル派幹部である「黒田寛一、松崎明、土門肇の革命的処刑」を宣言し、凄まじい報復を行った。しかし、現在に至るまで3氏の「革命的処刑」は実現していない（黒田は2006年に80歳で病気で死去。中核派は「恥多き死を強制した」と称している）。

中核派の「軍事部門」を指揮してきた清水丈夫がまとめた統計によると「73年9.21以来の中核派の対革マル派『赤色テロ』は件数で436戦闘、『完全殲滅』（死亡）43人、そのうち、75年3.14（革マル派による本多殺害）以後の革マル派の死亡は31人」。革マル派と解放派の抗争の死者を併せて「内ゲバ戦争」は百名近くの死者を出した。

被害は両派とは関係のない一般人にまで及んでいる。1974年2月6日に琉球大学構内に、中核派が革マル派と誤認して無関係な一般学生を殺害するなど、中核派は一般人を革マル派と間違って襲撃する「誤爆」事件を複数起こしている。1975年9月4日、中核派活動家が横須賀緑荘アジトで爆弾を製造しているところ、誤って爆発させ、同アパート住人2名が死亡（中核派活動家も三名死亡）した(横須賀緑荘誤爆事件)。83年6月7日には千葉県四街道市の成田空港関連の航空燃料用パイプライン敷設工事現場の飯場に放火して労働者2名を焼死させている。このような一般人の巻き添えについて、中核派は未だ一つとして被害者遺族らに謝罪も賠償もしていない。

80年代に入ると、三里塚闘争で、「一坪再共有化運動」の是非をめぐって反対同盟内部での対立が激化し反対・賛成両派が分裂した。共有化運動を推進したのは「熱田派」と呼ばれ、第四インター派らが支持。共有化運動を「土地の売り渡し」「金儲け運動」として反対したのは「北原派」で、中核派・革労協狭間派らが支持した。反対同盟内部の対立はそれぞれの支援党派の対立に発展してゆく。中核派は、第四インター派を「公団に土地を売り渡そうとする新しい型の反革命」と規定した。そして1984年1月、全国一斉に五箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃、7月にふたたび一斉に三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃した。これらのテロによって8人が重傷を負い、その内一人は頭蓋骨陥没、一人が片足切断の重傷となった。『前進』紙上でこのテロの「戦果」を発表した際には、襲撃した第四インター派メンバーの本名と職場、そして地番までの住所を掲載した。さらに中核派は、第四インター派のメンバーや「熱田派」所属の空港反対派農家、あるいは「一坪共有者」の自宅や勤務先に押しかけたり、脅迫電話を掛けて「次はお前だ」などと組織的に恫喝を展開する。第四インターの1984年8月15日付発行のパンフレットによると、登校中の子どもに対して「お前のお父さんを殺す」と中核派活動家が声を掛けることもあったという。また、成田現地闘争の際に、熱田派所属の農家や1987年に北原派から離脱した小川派の農家の軒先で、名指しで「脱落派○○を粉砕するぞ」とシュプレヒコールをあげるなどした。ところが1998年に中核派は「脱落派の再共有化に応じた人びとを含む全国千二百人の一坪共有者に訴える。その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争勝利のために不可欠である」と、「一坪再共有化運動」に対する態度をそれまでの総括なく180度転換した。ただし、第四インター派へのテロや非北原派の反対派農家への恫喝については謝罪はしていない。

第四インター派が元々「内ゲバ反対」を掲げ、あらかじめ物理的な報復を行わないことを宣言していた党派であったことから、このテロに対しては激しい批判が集中した。のちに中核派を離脱した小西誠によると中核派組織内においてすら批判的な声は少なくなかったが、指導部の「批判するものは組織を去れ」という統制によって中核派内部の批判が公然化することはなかったという。この第四インターへのテロ襲撃は、それまで新左翼各党派や各種の大衆運動界隈の一部に存在していた中核派への好意的空気、同情的空気を決定的に失わせた。また、三里塚闘争の分裂は各種の大衆運動の分裂へと波及し、中核派はいくつかの大衆運動から革マル派とともに排除される傾向が強まることになった。当時の中核派は統一戦線より独自路線による運動展開を優先した側面もある。

 ゲリラ闘争の激発
全共闘運動当時のような大衆的な拡大・勢いを失った中核派は、その後、80年代に入ってゲリラ闘争にその活路を見出していくようになった。同派はこれまでに、建設省（現・国土交通省）幹部宅や新東京国際空港公団（現・成田国際空港株式会社）幹部職員宅などに対する放火・放火未遂ゲリラ事件、自由民主党本部や空港施設などを狙った火炎瓶や火炎放射器を用いた放火ゲリラ事件、国電同時多発ゲリラ事件などを引き起こしている。

1985年頃からは手製の散弾銃・圧力釜爆弾・時限発火装置の製造や、飛距離数キロメートルに及ぶ迫撃弾・ロケット砲も使用するようになった。85年10月20日には革労協などと共に10.20成田現地闘争で機動隊との大規模な衝突事件を引き起こし、翌86年の東京サミットでは、成田空港と迎賓館に向けて迫撃弾と飛翔弾（ロケット榴弾）を発射、皇居の爆破未遂事件を引き起こした。

88年9月21日には、千葉市内の路上で、当時千葉県収用委員会会長で弁護士の小川彰を襲撃している。小川弁護士は全身を鉄パイプで殴られ、両足と左腕を骨折するという重傷を負った（小川弁護士は2003年7月にこのテロの後遺症を苦に自殺する）。このテロに中核派は犯行声明を出し、「収用委員会解体闘争」と称して「電話と手紙を集中せよ」として、他の収用委員全員の住所と電話番号を機関紙『前進』に掲載した。中核派は収用委員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け「家族ともども死刑台に乗っていると思え」という手紙が届いたこともあったという。他にも寿司・そばなどの出前を勝手に注文するなどの嫌がらせも頻発していた。その結果翌月、ついには収用委員全員が辞任する事態となる。

また、昭和天皇死去と現天皇の即位に関連して、1989年から約2年間にかけては「90年天皇決戦」「大嘗祭粉砕」と称して、大山祇神社など皇室とゆかりの深い神社仏閣の破壊、往来妨害、成田空港行きの列車への放火など、多くのテロ・ゲリラ事件を引き起こした。

対立党派で宿敵である革マル派との内ゲバも、80年代に入ると両派ともに組織が「内ゲバ戦争」によって疲弊化したことで徐々に小康化していったが、国鉄分割民営化をめぐる対立で動労幹部などを殺害するなどした。あるいは、かつて革マル派が行ってきたような、大学構内から他党派やノンセクトの活動家を暴力的に排除する「党派による恐怖支配」を中核派も法政大学、京都大学をはじめ、各地の大学で強めることになる。

 「5月テーゼ」と近年の動向
テロ・ゲリラ闘争は、世論の猛烈な指弾を受け、警察の取り締まりと孤立化を強める結果となった。近年は若手獲得とこれ以上の孤立化を防ぐため、テロ・ゲリラ等を控えて、組織拡大に重点を置き、市民運動や労働組合、ワーキングプア層への浸透を図る戦術を採っている。これは1991年に中核派が「将来の武装闘争に備えてテロ・ゲリラ戦術を堅持しつつも、当面は武装闘争を控え、大衆闘争を基軸に党建設を重視する」との方針を決めた「五月テーゼ」（03年以降は「新指導路線」と呼んでいる）に基づいた戦術である。ここで注意しなければいけないのは組織拡大とは単に同派の同盟員を増やすことだけではなく、同派と関連がある労組・団体（影響の程度は団体によってかなり異なる）の拡大や設立、かつてはほとんど関係がなかった団体との交流による影響力拡大も含まれることである。労働運動の分野では自治体、郵政、教育、JRを「四大産別」として、労組への影響力拡大を図っている。また、毎年11月頃に「全国労働者総決起集会」を東京で開催しており、その動員数は年々増加傾向にある。2005年の「11.6全国労働者総決起集会」では過去最高の2700人を動員した（平成17年の警備情勢を顧みてより）。歴史教科書問題では、2005年、新しい歴史教科書をつくる会が執筆した扶桑社発行の 教科書採択反対運動に積極的に介入し、東京都杉並区などで激しい反対運動を起こしている。東京都杉並区、神奈川県相模原市、大阪府泉佐野市、高槻市、八尾市の議会には中核派系の議員がおり、議会への進出度は日本労働党と並び、日本の新左翼の中では屈指。東京都知事選で青島幸男、国政選挙で社会民主党（個人では大田昌秀ら）、9条ネットのZAKIを支持、中核派系政治団体「都政を革新する会」の長谷川英憲を支援した。長谷川は、1989年の東京都議選で当選しており、これは新左翼では史上初の都道府県議員であった。

2006年、労組内の主導権を重視する「労働戦線派」（多数派、安田・中野一派とも）と、これまでの路線を踏襲し各方面での大衆運動に関わることを重視する「諸戦線派」（少数派、塩川一派とも）の対立から、関西や九州などで「諸戦線派」に対する排除あるいは離脱などの内部対立が表面化した。同年に現役杉並区議2名も、議会闘争方針の対立から中核派の政治団体「都政を革新する会」から離脱し、「無所属区民派」を結成した。さらには運動の進め方を労働戦線に集中して、部落解放闘争を労働戦線の付随とするような運動方針をめぐって、これまで共闘関係にあった部落解放同盟全国連合会（全国連）とも関係が悪化し、2008年2月には全国連から「広島差別事件」として糾弾を受ける立場になった。中核派はこの問題において、糾弾を受けた2月時点では沈黙していたが、4月になって全国連を「塩川一派」と規定して機関紙で公然と批判し始め、公式サイトから全国連サイトへのリンクを削除しているなど、その対立の溝は拡大し始めている。更に杉並では都革新と無所属区民派の間で裁判沙汰となったり、中央に批判的な革共同関西地方委員会が独自に機関紙「革共同通信」、機関誌「展望」を発刊し執行部批判を展開するなど、泥沼の様相を見せている。

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         <pubDate>Sat, 07 Feb 2009 12:38:42 +0900</pubDate>
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